COLUMN

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「水をやる」
今週は植木に水をやることにひたすら注力した日々でした。雑草に負けないようにと手をかけることも、 暑さでぐったりしている葉に水をそっと注ぐことも、 自然には抗えない「無力さ」と、それでも何かを守りたいという「意志」のせめぎ合いみたいですよね。
人が植木に水をやる。それって、「ただ水をやってるだけ」じゃなくて、どこか人生の縮図のように思えます。 環境に振り回されながらも諦めず、手を差し伸べる。 自分の手で整えたり守ったりするからこそ、命や時間に「意味」が生まれるんですよね。

「仕事が多忙で」と言い訳をしていた日々。暑さに負けて、植木は黙ってうなだれていた我が家の植木たち。忙しいを理由に水やりさえもしないダメな大人でした。
一方で、 雑草はしたたかで、どこからでも顔を出してくる。 私は、観て見ぬふりをしていたのだと思う。もうそういうのやめようってある日、思った。

自然には逆らえない。だからこそ、抗い続ける。
水やりという営みは、ささやかだけれど、命に意味を与える行為だと気づく休日でした。

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